ペルシャ絨毯(オリエント絨毯)は、現在のイランを中心とする地域で伝統的に手織りされる絨毯である。羊毛や絹糸を素材に、幾何学模様や草花模様など緻密な図柄と鮮やかな色彩を特徴とする。アナトリア(小アジア)やペルシャなど東方で生まれたこれらの絨毯は、14世紀以降にヨーロッパへ伝来し、美術品として珍重された。西欧の宗教画や肖像画にも描かれ、その豪奢さと異国性が象徴的に用いられた。
ルネサンス期(15~16世紀)の西洋絵画では、ペルシャ絨毯が場面を彩る重要な要素となった。例えばフランドルの画家ヤン・ファン・エイクは、「ファン・デル・パーレの聖母子」(1436年)や「ルッカの聖母」(1437年頃)で東洋の絨毯を精密に描写している。その絨毯には八角星や菱形を組み合わせた幾何学模様が施されており、デザインの源流はアナトリアやペルシャにあると推定される。絨毯は単なる背景ではなく、聖母や聖人の足元に敷かれて神聖さを示し、場面の荘厳さを引き立てる役割を果たした。
16世紀には肖像画など世俗的な場面にも東方の絨毯が描かれ、その所持は富裕層にとって地位の象徴となった。イタリアの画家ロレンツォ・ロットーの作品にも豪華な東洋絨毯が描かれており、その一つは赤地に黄色の唐草模様(アラベスク)を特徴とする。この文様は後に画家の名から「ロットー絨毯」と呼ばれ、16世紀アナトリアで織られた絨毯が当時ヨーロッパに流通していたことを示している。
当時の活発な東西交易(シルクロードや地中海貿易)により、オスマン帝国やサファヴィー朝ペルシャからヨーロッパへ絨毯など東方の産物がもたらされた。これらの交易路は物品だけでなく技術や芸術様式の伝播も促し、ルネサンス期の西洋美術に東洋文化を取り込む架け橋となった。こうして絵画に描かれたペルシャ絨毯は、東洋と西洋の文化が交差し融合した象徴となり、西洋美術に独自の彩りを添えた。